消費しきれなくても腐りゆくコンテンツ

ニュースサイトで取り上げられているブックオフヴァンキッシュ新品980円が心に引っかかる。
やはり時代は繰り返してしまうのか…。

日本人には馴染みのない言葉でアタリショックというものがある。
アメリカで発売したゲーム機ATARI2600(VCS)がアーケードゲーム作品の移植で徐々に売れ出したのが1980年まで。そして、タイトースペースインベーダーの移植により、1981、1982年は爆発的に本体の販売台数が伸びる。
その間に、サードパーティーが多数参加。発売するタイトルのクオリティチェックなどがなかったため、粗製濫造とされている。1982年の年末商戦用に大量に小売店が抱えたゲームソフトと、実際に売れるソフトの差が散々な数値だったということになっている(トータルで5%も売れなかった模様)。
これだけだとヴァンキッシュの値段とは関係ないように思われるが、年末商戦前の背景として、ユーザーの信頼を失い、ゲームソフトが売れなくなったのは年末よりかなり前の段階だということ。そして、その段階でベンチャーのゲームメーカーの統廃合が既に始まっていた。
倒産による廃棄ソフトの山が市場へ流出。在庫の処分も含めて価格暴落。溢れかえった安いゲームソフト(新品)のために新作ソフトの値段が維持できない状態となる。
ゲームソフトの値段が発売から数ヶ月で1/10以下となるような状態が買い手の不信感もあおり、買い控えも発生。新品定価も下がることとなり、市場の急激な変化についていけない小売店が困惑したのは当然だったと思う。
実際には突然売れなくなったというものではなく、市場価格がすぐに仕入れより下がるために売っても赤字。年末商戦以降は新規でソフトを作っても買い取ってくれる小売店が存在していなかったのだろう。
このアタリショックと現状は、いくつか共通点がある。
まず、市場にモノがあふれている状態。廉価版など、ダンピングで物を売る手法により、ゲームソフトは新品でも2000円程度で買える、ちょっと待てば安くなるという感覚。
自転車操業的に趣向品を作っても、買い手のキャパシティが増えるわけではない。(インベーダーやりたさに爆発的に本体とインベーダーは売れたが、別のゲームがほしいわけではなかった。)
ヴァンキッシュは出来が悪いわけではないが、出荷本数ほどの需要はなかった。そして、ブックオフという店の形態から考えると、新品在庫をどこかの倉庫からかなり大量に引き受けたのではないかとも想像できる。
娯楽としてゲームを選び、遊んでいる人がどのくらいいるんだろうか。
ゲーム業界の、主にメーカー側からすれば、新作ゲームをプレイするユーザー層だけが重要になるんだろう。
ゲームの趣向は、コアな層がオンラインゲームメインとなり、比較的ライトな層がメインの新作ゲームユーザー。30代からはおそらくケータイゲームに取られている。
同じゲームでも住み分けが出来てしまっている以上、爆発的なムーブメントは、既存の作品の改良ではなく、新しい発想のものでないと難しいだろう。
アタリショックはゲームそのものが死んだわけではなく、ゲームを扱う側の産業がなしくずし的に死んでいったものだと解釈している。
初期出荷が重要な小売店販売のゲームの性質上、発売日でコンテンツ終了という印象が拭えない。
ダウンロード販売と、ネットワークによる追加要素の配信は馴染みが薄いのだが、大きな可能性を秘めている。
ゲームソフトの体験版はダウンロード配信にするべきだし、オフラインゲームにない付加価値としてのネットワークを使ったゲームは今後どうしてもセールスポイントになってくる。
GBのテトリスポケモンの交換、ドラクエのすれ違い。この程度でとまっているのを見る限り、携帯ゲーム機のネットワークの機能はまだまだ実用性にまで達していないのかもしれない。
更には、他社との連携が出来ないようではやはり未来がないように思える。
モバゲーやグリーにおける客の抱え込みは、やはり自由度が低く感じる。オンラインゲームにしても出来るだけ別のゲームに取られないように他を見せないという袋小路の物ばかりだ。
自分でやったわけではないが、セルフィタウンというアバターが話題になったことがあった。
A社のセルフィタウンと、B社のセルフィタウンは、絵も開発元も一緒だけど互換性がない。
同じセルフィタウンのユーザーが、どうやっても会えない別の世界に、完全に分断されてしまっているという現象がおきていた。
更にはC社もセルフィタウンのサービスを始め、ひどい開発だなあと感じた。
オンラインの魅力はやはり他人とのつながり。コレクションや特技の自慢など、蓄積や経験が目に見える形で貯まっていく。
その蓄積をジョブカードのように統一した規格で貯めていけないものだろうか。
多数の要素が点在した状態で存在してはいる。
Xbox360のトロフィー等はゲームタイトルの垣根を越えた面白い取り組みだと思う。
必要とされているものを実装すれば人はついてくる。新たな価値観を育てることが出来るかどうかで、ゲーム業界は拡大も縮小もするだろう。
ハード性能やインフラが追いつけば、ゲームメーカーは中間搾取が消えて復権し、小売店も流通も出版社も印刷会社も縮小してエコになるんじゃないだろうか。
ゲームソフトを限りある生産流通量で小売店を通して販売し、売切れたら中古などに客を取られてしまう現状は、どうしてもロスが大きい。
得があるとすれば、売れないようなつまらないゲームでも一定量は流通に流してしまえるという点。
ダウンロード販売が主流になれば、品切れがなくなり、口コミで話題になったゲームはいつでも買える事になる。ネットワーク必須なため、他人とつながる何らかの要素も入れていけるようになる。
必然性はあると思うが、日本人の民族性からすると難しいのかもなあ。
mixiが大きくコケてfacebookが流行るくらいじゃないと未来は遠い。